侘び・寂び・幽玄
書道茶道華道を嗜む程度には好きな、技術の川田です。
最近は時間がそれなりにあったので、テクノロジーの歴史を調べ始めたことをきっかけに、西洋・東洋美術史や、それらが生まれた国の文化や時代背景を感じながら独学しています。
なんらかの作品に心を動かされたとき、所謂「エモ」を感じます。けれども中々詳細に言語化できない自分にやきもきすることがありました。しかし上記を学んでいるうちに、どうも日本には「侘び・寂び・幽玄」なる概念があるらしいとわかりました。
簡単に言うと、
侘び:貧粗・不足のなかに心の充足を見出すこと
寂び:古さや静けさ、枯れたものから趣を感じること
幽玄:奥深く微妙で容易にはかり知ることのできない、神秘的な深みのこと
※自分がわかりやすいと思った所から一部引用してきたので正確でないかもしれません。
これにより、自分が「エモいなあ」と一言で表していたものらを、
例1:「ミニマリストYoutuberが『有っても無くてもあまり変わらないなら、無い方がいいですよね』と語っているのを見て、その人の侘びの心を感じた。」
例2:「自然と近代的人工が織りなす景色というのは、人類史上少なくとも電子機器が開発された現代が唯一で、例えば昭和か平成初期に設置されたであろう、古ぼけた自販機の塗装が所々剥がれていたり、ツタが少し絡みついているのを見て現代日本の寂びを感じる。」
例3:「新作ゲームをプレイしたら、演出の取り方や、煌びやかで恐ろしげでもある3Dオブジェクトやテクスチャの描画に幽玄性を感じた。」
などとうんちくを交えて語れるわけです。
以前までは無意識に効率を求めた結果、景色や作品を見ても「ただの木じゃん」「ただの石じゃん」と残念な感性で物を見てきた節があるので、日本古来より伝わる侘び・寂び・幽玄の心を会得したいと思い、勉強しております。
(会得するものでもないし、勉強するものでもないので、「感性を磨いている」などの方が適切ですかね)
半年前に撮った写真。幽玄性、ありません?